2006年03月28日

ソ連時代の話3臓ペレストロイカの頃

ロシアの友人から聞いた実話。

ロシア人の友人から聞いた実話。

ペレストロイカの頃、日本や欧米では「ゴルビー・ブーム」で盛り上がっておりましたが、実は当のロシア(当時ソ連)国民はとんでもない生活苦を強いられていたそうです。

あまりに生活が苦しくて、ペレストロイカの時期だけで、2000万人も人口が減った<とか。これって第二次世界大戦で死んだ人より多かったんだそうです。

とにかく、食べ物はない。インフレはすごい。治安は極度に悪化。医療制度や学校教育も悪化。人々の心はすさむばかり。。。



エピソード1

当時高校生だったKちゃん。彼女はお母さん、おばあさんと一緒に暮らしていました。
生活はお母さんが働いてまかなっていましたが、そのお母さんが重病になって寝込んでしまい大ピンチ!おばあさんの年金はあったものの、そんなのは微々たるもの、とても生活のたしにはなりません。
さあ、困った。女三人(しかも一人は重病)でどうやって暮らしていったらいいものか。まさに絶体絶命!

しかし、天はこの哀れな三人を見捨てなかった・・・。

ちょうどそのとき、家で買っていたメス犬が子供を生みました。しかもこの犬はただの犬ではなく、血統書付の由緒正しいお犬様。さっそくこのお犬様の子供(複数)を高値で売りさばき、すんでのところで家族はなんとか窮乏を逃れることができたのでした。
めでたし、めでたし。。。

エピソード2

Oちゃんの話。
当時彼女は大学生。モスクワの大学に入学して、寮で一人暮らしをしておりました。
しかし当時は極度の食糧不足。朝はまず食べるものを探すところから始まります。しかし大学生なので勉強がいそがしく(彼女は特にまじめだった)、店に行って行列に並ぶ時間もありません(なんせ朝から数時間も並ばなくてはならなかった)。実家は郊外にあるので、そこへ行けば近隣の農村から食料が買えるのですが、実家へ帰るためのお金もありません。しかし自分のところにはなにもない。仕方がないので、友達の部屋を訪ねます。

「なんか食べ物ない〜?」

友人たちもけっして余裕があるわけではないのですが、こういうときはお互いさま。わずかな食料を分け合って食べたそうです。もちろん、自分のところに食べ物があるときは、友達に分けてあげます。

ちなみに彼女は大学生時代、喫茶店に入ったのは一度きり。それも友達数人と入って、みんなでひとつのケーキを分け合って食べたとか。。。
泣ける話です。
posted by シュト at 23:51| Comment(7) | TrackBack(1) | ロシア今昔物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月25日

ソ連時代の話2 じゃがいも

ロシアではいもといえばジャガイモです。
というか、

ジャガイモしかありません。



輸入物のサトイモとか、サツマイモのようなものとか、わけのわからんアフリカあたりのいもとかも見たこともありますが、みんな高いです。

以前日本食専門スーパーに山芋(ながいやつ)があったので、何気なく買おうとしたのですが、値段を聞いてあまりの高さに、思わず半分に切ってもらって一切れだけ買いました(ロシアの野菜は基本的に量り売り)。

しかしジャガイモしかないとはいえ、このジャガイモの種類がたくさんあります。普通の市場で少なくとも5種類くらいは売っている。それぞれ色とか大きさとかが違います。白っぽかったり、赤っぽかったり。

ちなみに赤っぽいのは、サツマイモに似てちょっと甘くて、私のお気に入りです。

ちなみにジャガイモは安い(ジャガイモだけではないですが)。季節によっても違いますが、1キロ10ルーブルから30ルーブルくらい(1ルーブルは約4円)。




前置きがながくなりましたが、本題のソ連時代の話。

10年以上前、ペレストロイカのころ、ロシアはとんでもない食料難だったそうで、私の友達は毎日ジャガイモを食べて生きていたそうです。

しかも普通はゆでじゃがいもで、1週間に1度だけ油で揚げたジャガイモをお母さんが作ってくれて、それが楽しみで楽しみでしょうがなかったとか(泣けますね)。

そんなわけで、現在モスクワはいろんな食べ物があるのですが、彼女の1番の好物は、今でも油で揚げたジャガイモなのでした。

つづく
posted by シュト at 00:19| Comment(0) | TrackBack(2) | ロシア今昔物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月21日

ソ連時代の話1 戦争ごっこ

calender_sekigun.jpg

ソ連時代のカレンダーカード。




ソ連時代の雑貨の紹介が続いたので、ここでちょっと友人から聞いたソ連のころのお話なんぞをはさみたいと思います。


昔、ソ連時代の子供は学校でよく戦争ごっこをやったそうです。

いえ、休み時間にではありません。

正式な学校の課題として戦争ごっこがありました。



2つのグループになり、それぞれ攻撃役、見張り役、負傷した人を看護する役などなどの役割に分かれ、本格的にやったそうです。



ようするに軍事訓練です。



なんと拳銃を分解して組み立てたり、射撃練習もしたそうです・・・(今はやっていません、念のため)。

ちなみにもし機会があったら、30歳以上のロシア人に拳銃を撃つまねしてもらってみてください。



すごくリアルです。



さて、そんなご時世だったので、女の子たちはたいてい看護教育も受けていました。

ある日の友人との会話。


シュト「注射できるんだよね?」

友人 「勉強したけど、痛くないようにできるかどうか・・・」

シュト「ははは」

友人 「座布団にならできます」

シュト「座布団?なにに使うの?」

友人 「座布団になら注射できます」

シュト「人間じゃなくて、座布団に注射したの?練習で?」

友人 「そうです。緊急事態のときには人間にもできるように。そういう時は痛いかどうか関係ありませんから」

シュト「そりゃそうだけど・・・」

友人 「生き延びることができれば、大丈夫と言われました」

シュト「・・・」



彼女が注射を打たなくても済む世の中が続くことを祈りたいです。。。


つづく
posted by シュト at 23:55| Comment(4) | TrackBack(0) | ロシア今昔物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。